プノンペン キリングフィールド

2012年11月4日 キリングフィールド

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プノンペンで宿を確保した後、トゥクトゥクを頼んで、キリングフィールドとツールスレン刑務所へ行きました。

この旅に出るまで、70年代のカンボジアに関する私の知識は、深夜映画で観た「キリングフィールド」くらいのものでした。

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カンボジアへ行くなら、と図書館で数冊本を借りて読んだりもしましたが、そこで起きた虐殺、は一体なんだったのか、歴史の跡をこの目で見て、旅から帰ってきて数ヶ月経っても、いまだによくわかりません。

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ナチス、ヒットラーの虐殺も、日本の特攻隊や本土決戦でのオキナワの集団自決も、同じようにわかりません。追いつめられていく狂気も、自分で判断することを許されない洗脳も、なくならない。個人的な理由でも、国家の大義でも、人は人を殺すし、苦しんでも泣いても、また繰り返し。怒っても悔やんでも、また繰り返し。繰り返し。現実はいつも善悪の彼岸にあります。

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クメール・ルージュの虐殺のいきさつを、ざっとまとめると、こんな流れです。

カンボジアは第二次世界大戦後フランスの植民地からの独立し、シアヌーク国王による社会主義の王政国家になります。その後、アメリカ主導によるロン・ノル(シアヌーク政権の国防相)のクーデターでシアヌーク国王は追われ、カンボジアは共和国に。それに反発する原始共産主義のポル・ポト派が台頭し、内戦へ。ベトナム戦争でアメリカが敗北し撤退したことで、後ろ盾を失くしたロン・ノルは亡命。ポル・ポトの新政権誕生。ポル・ポトは、再度クーデターが起こらないように、と知識階級を中心とする200万もの人の虐殺。

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いったい、主体というのはどこにあるのだろう。どこまでが大義のためで、どこからが私欲や権力のためなのか。その線引きが私にはわかりません。そこに差があるように思えないし、あったとしても私には「ほんとうのこと」を知る術もない。

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キリングフールドに、虐殺が行われたその場所に自分の足で立っても、無常感のようなものが付きまとうばかりで、憤りや、哀しみが沸いてくることはありませんでした。

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のどかな日差しと、観光客たちの中で音声案内のテープを聴きながら一つ一つの場所をまわっても、いったいなにを感じれば良いのかわからなかった。のんびり寝そべる犬や輪になって遊んでいる子ども等を見れば平和そのものだけれど、あたりにはまだ地雷が埋まっていて、ここは戦後の復興途中の国で、けれどそれを良いとか悪いとか、言える言葉は持たないし、正解もない気がしています。

 

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キリングフィールドをでてそのままツーツスレン刑務所跡へ。虐殺された知識階級のひとびとの収容所だった場所です。次回へ続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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