プノンペン トゥール・スレン

2012年11月4日 トゥール・スレン

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キリングフィールドから再びトゥクトゥクに乗って移動。ガソリンスタンドというものがあまりなく、道脇の屋台で、使い古しのペットボトルに小分けられたガソリンが売られています。どこでガス欠になっても困らないのは良いですが、火事になったら大変だろうな、と思いました。

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現在の正式名称は「トゥール・スレン虐殺博物館」。当時はS21という暗号名で呼ばれていた政治犯収容所です。もともとは高等学校だった場所。

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日が落ち始める頃到着し、1時間半ほど見学しました。見学なんて言葉をつかうのもはばかられるような生々しい場所ですが、入場料を払って敷地に入った旅行者に過ぎないのだから、やはり見学としか言いようがないのかもしれません。

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発見当時のままに残された拷問室や独房は国立博物館というにはあまりにもそっけなく淡々としています。

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収容されたひとびとの写真が展示してあります。カメラの方を向いているので、どこから見ても彼らの目がじっとこちらを見ています。

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ポル・ポトの革命ののち、教育は徹底して排除され、教育を受けたひとびとのほとんどが反革命分子であるとみなされ拷問され、殺されました。S21の秘密を守るため、看守も次々に口封じとして殺されました。本当に事実なのかと疑いたくなるようなことばかりです。

この収容所の存在が明らかになったのは1979年。指揮官のドッチの裁判がはじまったのは2009年。終身刑の判決が出たのは2012年2月のことです。

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2年9ヶ月の間に14000~20000人のひとが虐殺された場所です。ひとを狂気に駆り立てるものの正体はなんなんだろう。この場所にいる間、そればかりが頭を巡っていました。

ここは本当に公開するべき場所なんだろうか。

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建物のひとつひとつの部屋を歩き、暗い独房に入ってみたり、まだ血の跡さえそのままになっている壁に触れてみたり。重たいものを胃の底に感じながら外に出ると、夕刻の空に金色の雲が光っていました。幻のような空でした。

数ヶ月経って、いまこのブログを書きながら思い出すのは、オレンジがかった茶色とすすけたクリーム色の市松模様の床、そしてこの空。

 

次回、カンボジアを出て、ベトナム、ホーチミンへ向かいます。どうしても行ってみたかったチョロン5区のこと。

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