2012年11月13日
プレイクでベトナム最後の一夜を過ごし、翌日ラオスへ向けて出発です。
2日連続でバス移動。
プレイクからラオスのパクセという街まで、バスで約12時間と聞いていましたが、実際は16時間くらいかかりました。
ベトナムとラオスの間にはいくつか国境越えのポイントがありますが、このルートを使うのはほとんどが地元のひとのようで、バックパッカーは私だけでした。
けっこう立派な大型バスです。お客さんは通路にまでぎっしり座るくらいの満席。通路のひとの荷物は椅子席の隙間に置くため、足の置き場もないくらいぎゅうぎゅう。
朝、バスがホテルまで周回して来てくれてピックアップしてくれます。出発して10そのまま分ほどしたところで、車掌さんがパスポートを掲げて隙間を縫って近づいてくるので、事前にチェックがあるのかな、と思いバッグを探しますが、パスポートがない。。。。腹巻にしてるポシェットにもない。。。ザックも隅から隅まで探してもない。。。。
うっそ。これはやばい?と冷や汗がたらり。
車掌さんは私にベトナム語でなにか一所懸命話しかけてきますが全く言葉がわかりません。バスは停車。車掌さんは携帯電話で誰かと話しながら身振り手振りでパスポートを見せてきます。これはもう降りるしかない、と思っていたそのとき、スクーターに乗ったホテルの従業員さんがバスの横に到着。
なんと、ホテルで朝精算を済ませた後、返却してもらうのを忘れていたのでした。
文句を言うでもなく、笑われることもなく、よしオッケーみたいな感じで何事もなかったかのようにバスは出発。まわりのお客さんも特に気をとめるふうでもなく、バスが遅れていることに文句を言うひともおらず。
皆さんが良い方たちで事なきを得ましたが、大使館行きになってても仕方ないケースだったと思います。
関係者の皆さま・・ご迷惑をおかけしてすみませんでした(汗 ありがとうございました(汗
そしてバスは山道へ。このルート、山越えがあるんですが、想像以上の悪路で、箱根やら日光を思い出すヘアピンカーブがひたすら続きます。
そのうちバス内で嘔吐するおばちゃん。しかし、うぇうぇっとやってるひとがいてもまわりは特に気をとめる風でもなく。。。これはもうお国柄なんですかね。
おばちゃんは乗り物に弱いらしく、最初から2席分のチケット代を払っていたようで、ぐったり横になっています。つらそう。。。
そんな道が2時間くらい続いて、ようやくBO-Y(国境)に到着。
出国イミグレ。
手続きは簡単で、あっというまに終わりました。
続いて入国。アジア4カ国め。ラオス入り。
ここもがらんとしていて混雑はありません。ベトナム、ラオス人以外は後回しにするので待っている間に余っていたベトナムドンをラオスキープに両替。久々に通貨単位が変わるのでまた計算がややこしくなりますが、ラオスの通貨は硬貨がないのでその分楽かも。
100円=21510ドンが100円=7980キープに。(2013.8現在のレートで換算)
入国の際に日本のパスポートを珍しがられましたが、問題なく通過。
またしばらく続く山道を越えて、ようやく平地へ。
収穫の始まった水田が広がります。広い。
なんか懐かしい風景。
よく見ると看板に「KARAOKE」
このあとは日が暮れてしまったので写真も撮らずに到着までぼーっとして過ごしました。
目的地のパクセーは、ラオスのコーヒー産地です。
ゲストハウスを探すには疲れすぎていたので、バスターミナルから街中まで移動して、「Cham Pasak Paiace Hote」というホテルにチェックイン。支払いはドルで出来ました。一泊20ドル(当時のレートが1ドル=80円くらいだったので1600円くらい)
欧米人の宿泊客が多いようでした。新館と旧館があるようで、シングルの飛び込みで安い部屋を頼んだの私は旧館へ。ひとりで泊まるには広い部屋です。
部屋からの景色。バナナやココナツの木に囲まれた民家が並んでいます。最初に見たときは立派なホテルのすぐ裏はバラックなのかあ。と思いましたが、これが一般的な民家なんだろうと思います。
夕飯は中庭にあるレストランのテラスで、ココナツミルクが甘めの魚のグリーンカレーを頂ました。
翌朝の朝食は洋食のバイキング。フランスパンにかりかりベーコン。コーヒー。
スイカにマンゴーにドラゴンフルーツ。
このあとしばらくラオスに滞在して知るのですが、スイカ天国なんですよ。鳥取か熊本か、って感じなのです。
浮空店主は死ぬ前に最後になにが食べたいかと訊かれたらスイカと答えるくらいスイカ好きなのです。
次回、久しぶりに日本人バックパッカーに遭遇。